教育?勝負?過程?結果?

 

(2週間ぶりの更新になります。ごめんなさい(^^;)

 

 

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学習を通して知識を身につけ、

また、疑似体験を加味して、

具体と抽象との間を行ったり来たりしながら、

知恵に昇華させていくために「教育」はあるのだろう、

自立した人に育つための土台作りが「教育」であろう、

そんなことを思う。

 

 

 

 

公教育はそういう意味でも

社会全体のセーフティネットの役割を担っている。

 


ただ...

バランスのよい人を育てるために、

と言えば聞こえはいいが、

学年という縛りや慣習が阻害要因となって、

世の中の急速な変化に追いつけず、

また、バラツキの広がる子どもの世界を標準化するのも難しく、

昨今、様々な教育問題が表面化してきている。

 

 

今の時代、例えば何か一つ、

秀でた能力や特性があるとして、

そこに突っ込んでいくような生き方は、

確かにとても清々しく、

周りの人も羨望の眼差しで見るだろう。

 

ただ、それは残念ながら、万人にとって叶うものではない。

 

逆にいえば、だからこそ、

教育が、学力向上が必要だと言えなくもない。

 


ひょっとして人には皆、

そういったチャンスがあるのかもしれないが、

しかし一方で、それに気づき、

それを手にすることができるのは、

ほんの一握りであることをなんとなく肌身で感じていく、

その時期が子どもと大人の狭間、思春期だ。

 

 

子どもから大人になっていく過程で、

現実を見せつけられ、何らかの挫折を味わい、

違う生き方や居場所を模索しつつ、

それでも夢を、理想をあきらめきれず..

 


自分の気持ちはどうなのか?

周りの人は自分をどう見てるんだろう?

 


そんな葛藤が心の中で渦巻く中で、

時間が過ぎ、ギリギリまで悩み、タイムアップ。

 

そうやってそのときは容赦なくやってくる..

 

 

そういう思春期の子どもたちを、

家庭でも、学校でもない、第3の場所で、

つかず離れず見ているのが、

私たちの仕事場、塾だ。

 

昨夜、話題のドラマ「みかづき」を見て、改めてそう思った。

 

 

 

 

そういう意味で、

私たちは子どもたちにとって、

学生時代に遭遇する数少ない大人ということになるし、

そればかりか、市場原理からいえば、

塾は子ども(ご家庭)から選ばれる側であり、

選ばれなければ存続できないことも事実。

 

あくまでも塾通いは任意であり、親心であり、自由な選択。

 

加えて、過当競争ともいわれるこの業界...

 

中にいる人の立場からいえば、

そりゃもう大変。笑

 

 

さてと。

 

塾には、

① 勉強を学ぶという教育的側面と、

② 入試の合否という勝負の世界と、

あと、もう一つ二つ、

大事なことがあると思っている。

 

その一つ二つ大事なことというのは、

「子どもが塾を使って成長する」ための秘訣みたいなものだが、

(「塾が子どもを育てる」という表現は少し違う気がするので)

それを語り始めると長くなりすぎるので今日は割愛。

 

 

ここ数週間、

先に述べた ①教育(学習)と②合否結果(受験)について考えてきた。

 

その整合性を自分自身にどう落とし込んでいくか、

仕事柄、そんな自問自答、葛藤が続いた..

 

 

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2019受験シーズン開幕。

 

塾生の合否結果が出るたび、

一緒に喜んだり、一緒に凹んだり、

まるでジェットコースターのような日々。

 


それと並行して、

次に向けて動き出そうとしたが、

トラブルや予定変更が続き、

いつもの自分の時間がとれず..

 

先週はさすがに心が不安定だったなと反省。

 

 

休みなく走ってきたので、今日は小休止。

 

リセットして頑張るために、

今、久々にブログを書いて気を鎮めている。

 

 

あれ、ブログって自分のために書いてるんだっけ。笑

 

ま、本来、そういうものだから、

今日はそう思って読んでいただければ、ね。

 

 

 

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で、本題に戻るが、

 

塾の存在意義は、

①教育なのか、②結果なのか、

どちらが大事なのか、

そういう議論が巷では結構ある。

 


「教育みたいな複雑な要素が入り組み合ったわかりにくい世界、

それなら合格出してなんぼでしょ!だって塾なんだから。」

 

みたいな声も外からは多い。

 

 

ただ、私はそうは思わない、というか、

ここ数年で結果が全てとは思わなくなってきた。

 

そんな簡単なことではないし、

やはり、過程も含めての結果ではないかと。

 

 

結果は過程によって意味が大きく変わるものだ。

 

 

だからこそ、せっかくならば、

受験勉強と入試本番、そして合否結果を受けて、

その意味を自分の言葉で表せるぐらいの、

世界観がかわるぐらいの、

たくさんの感情を手に入れて、

次のステージに進んでほしい、そう願っている。

 

 

歳を重ねてきて今井も丸くなったんだねぇ、

という声も聞こえてきそうだが、

そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

 

 

過程の先に結果があることを痛感したからこそ、

過程を大事に考えるようになった..

そういうことかもしれないし、

負けない戦いをする準備は、本人の努力でなんとかできる!

その先、勝てるかどうかは、運を天に任せる部分もあるよね、

だって相手があることだから..

そういうふうにどこかで誰かが呟いたからかもしれない。

 

それともそんな夢でも見たかな。

 

そのあたり自分でもはっきりしないが、

ま、どっちでもいいか。

 

 

とにかく瞬間最大風速みたいなものより、

いつも吹き続けている風の心地よさや、

その風向きを大事にしたい、

そのためにも成績の紙だけじゃなく、

子ども自身の様子をよく見てあげなくちゃ!

強制や押しつけではなく、

潜在能力を引き出す方向で指導しなきゃ!

という方向性に近頃考え方が変わってきている。

 

 

ただ、だからといって、

勝負所で一段階ギアを上げられないようでは

他者との競争に負けてしまうし、

そもそも塾生には自ら燃えるタイプであってほしいと

願っている私の信条に合わないのも確か。

 

塾として、いい結果で締めくくりたいのも当然なので。

 

 

ということは、

結局こう考えるしかないのでは!?

という、とりあえずの結論に行き着いた。

 

 

それは、①教育のあり方と ②入試結果とは、

もう少し切り離して考えるべきではないかということ。

 


①の教育過程の延長線上に

②の勝負結果があると考えている限り、

多くの不確定要素を抱えた入試結果に毎度振り回されるし、

その過程においてやってきた取り組みまでも、

合格なら全肯定、不合格なら全否定されるような風潮、

すなわち、結果至上主義から抜け出せず、

余計に訳わかんなくなるんじゃないかということ。

 

 

つまり、捉え方として、

①と②、それぞれに過程と結果があり、

別々にアプローチと結果を検証してみよう、

そう考えてみる方が無理がないなと。

 

そんなことを今は思っている。

 

 

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明日から受験シーズン中盤戦!

 

学力そのものは、

1ヶ月やそこらで急に高まるものではないが、

得点力アップの強化はまだまだ可能。

 

意識や心がけ次第で点数はガラッと変わってくる。

 

 

受験生たちへ。

 

ここまで来たら、

①の教育的に云々とか、

過去の自分の不甲斐なさとか、

そういうのは

ちょっと横に置いておこうじゃないか。

 

②の結果を出す過程に全力を尽くそう。

 

 

実は、勝負の綾は、

この先にやって来るって知ってた?

 

 

 

 (長くなりました。5時間かかっちゃった。独り言です。笑)

 

 

 

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