その場所で自分は何ができるか

 

 

今日は交代出勤のためお休みもらっています。 

気持ちにも少し余裕がある休日です。

  

ここ数ヶ月、ブログらしいブログ(って何だ?)が書けずにいたので、近頃考えてたことを書き留めておこうと思い、今、自宅のPCの前に座りました。

勉強や入試のことではなく、私なりに大事にしてきたこと、生きかた、というと少し大袈裟ですが、そんなことです。こういった自分のルーツや信条めいたこと、これまであまり人前で話したことがないかもしれません。

 

さて、記事タイトルに「その場所で自分は何ができるか」と書きましたが、私自身のことを私なりに分析すると、自分を必要としてくれる場所で全力を尽くす!そういう気持ちが人一倍強いかもしれないなと思っています。(幼い頃から責任感が強すぎるとは言われてました..)

その要因がどこにあるのかといえば、生い立ちや環境、はたまた人間関係なのか、そのあたりにあるのでしょうが、ひとつ挙げるとすれば、学生時代、野球というチームスポーツを通して、ある種の処世術から生まれた心理的志向とでもいいましょうか、そういった面も少なからず影響してるのではないかと思います。 

場所によって、集団によって、相手によって、自分の求められる役回りは違ってきますが、いつしか、自分の喜びよりも、チームや人に役立つ自分であることが一番の幸せだなと思うようになっていました。‥というように書くと、なんとなく美しい話のように聞こえてしまうのが恥ずかしいのですが、でもホントのところ実際は、けっして他者のために生きるといった崇高なものなんかじゃなく、自分が好きな場所で生きていくためには、自分を変えていくしかなかった...

ふり返ってみれば、ややもすれば打算的といいますか、まぁそんなところだったんじゃないかと思うわけです。

 

チーム戦の野球と個人戦の受験勉強。

学生の頃は、このギャップに悩みながら気持ちに折り合いをつけようと、自分の生きる道を、自分を活かす道を探していた気がします。「いやまぁそれもよかったんじゃないかな」と思えるまで少し時間がかかりました。 

塾を仕事として生きていくうえで、人のためにチームのために自分のベストを尽くせるかどうか、これが何よりも大事なことだなと心から思うようになったのは、あの当時の葛藤があったからこそなんでしょうね、きっと。今では、私個人としても、自塾の理念としても、行動指針の根っこのようなものになっています。

 

もう少し具体的に経験談を書いてみましょうか。

野球少年だったら誰しも、打順は1番バッターか4番、守備ならピッチャーかショートに憧れますよね。やっぱり花形ですから。

でも私の場合、小柄だったこともあって、ずっと2番セカンドでした。

今でこそ2番バッターでも強打がウリの選手もいますが、当時の2番バッターに求められたのは「送りバント(犠打)」と「フォアボール」(笑)ベンチの監督からのサインは、いつも「送りバント」か「待て(打つな)」でした。小学校でも中学校でも、試合に出ても思い切ってバットを振らせてもらえなかった。チームが勝つためだ!と言われて、バッティング練習でもバント練習ばかりの日々...

まぁもちろん不満はありましたが、でも、薄々わかってたんです、私がこの場所に居続けるためには、それを誰よりも磨くしかないんだと。自分が何をしたいかはチームにとって関係ないんだから... そう自分に言い聞かせてました。

 

私たち団塊ジュニア世代は子どもの数が多かったですし、まだサッカー部もなかった時代です。故郷(兵庫県)は甲子園球場のお膝元で野球熱がとんでもなく高い。ですからチーム内にライバルがひしめきあっているわけです。その中でレギュラーを取るためには、与えられたミッションを完璧にこなし、期待にこたえ続けなきゃならない。

いえ、それだけでは全くもって不十分で、守備がとびっきり上手になることはもちろんのこと、カバーリングをサボらない、誰よりも声を出す、どんなときも全力プレー、そういう誰でもできることを誰よりもちゃんとやり続けることしか自分の生き残れる道はなかったわけです。ガタイがよくて足も速くてセンスの塊みたいな人にはどうやっても及ばない。そんな現実を突きつけられ、何度、挫折感を味わったことか...

 

だけど!そんな地味な努力も報われるときがやってくるんです。いえ、元来、努力って地味なものなのでしょう。 

キャッチャーからの返球が逸れたときカバーに入ってた私の目の前に転がってきたり、カウントの悪いところから送りバントを決めたり、全力で走ったおかげで間一髪セーフになったり、ピンチになったときに声をかけた励ましの言葉にチームメイトが「頼むぞ」と笑い返してくれたり。試合が終わった後のミーティングで監督から「陰のMVPだ!」と言ってもらえたり、そういうことがたまにあったりして。

 

手を抜かず、腐らず、頑張っていれば、

自分だってチームのみんなの役に立てるんだ!

 

自分に自信を持つこと、努力の仕方、それらを教えてくれたのが私にとっては野球でした。特に高校野球ではそれを強く感じたし、仲間に何度も救われました。高3の最後の夏、試合前日の最後のシートノックのとき、「この仲間と一緒にいられることが幸せだな」という気持ちがこみ上げてきたのを今でも覚えています。

 

少し話が逸れてしまいましたね、元に戻します。

「自分の人生、自分のしたいことをするのが幸せだ」という意見もわかりますし、世の中そういう風潮が強まってますね。それを否定するつもりはありません。

ただ、私が言いたいのは、たとえ、その場所や環境が自分の望んだものではないとしても、その場所で必要とされる人になるように努め、自分のできることから主体的に関わろうとすれば、道は開けていくものではないかということです。

そういう姿勢は必ず人から人へと伝わり、応援してくれる人も出てきます。相手や環境を変えようとするのではなく、まずは自分をその場所に求められる姿に最適化させていこうとする気持ちから出発してほしいな、そんなことを思うのです。

 

「置かれた場所で咲きなさい」という有名な言葉がありますが、私はこの言葉から「しなやかな強さ」を感じます。どんな場所であっても自分次第なんだよと。

 

人には自分でも知らない未知の可能性があります。

過去に引っ張られた今の姿を、自分らしさだとか言ってそれが全てだと思い込んでしまうのはもったいない!「一生勉強、一生青春」ですね、私もまだまだチャレンジする勇気をもって進みたいと思っています。

 

 

何が言いたかったのか、わからなくなったけど、ま、いいか。
なんか長々書いてスッキリしちゃった。

 

では、また。

 

 

 

 

昨冬の中3(現高1)直前合宿の集合写真です。

今年は2月22日(土)から2泊3日!

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