平成と福岡と私

 

 

昭和天皇崩御により「平成」の世が始まったのは、

私が高校2年生のとき、年が明けてすぐのことだった。

 


当然のことながら、日本全体自粛ムード。

たしか、学校も2日休みになった。

昨今の令和ブームのような「新時代到来!」という期待感など全くなく、

重苦しい雰囲気、どちらかと言えば失望の中、平成は始まった。

 

この頃、後に「バブル」と呼ばれる異様な好況を迎えていたが、

もちろん私たちにそんな恩恵はないし、

当時の私にそんな世の中の空気なんかわかるはずもなく、

兵庫の田舎の進学校に通いながら、毎日ひたすら白球を追いかけていた。

 

 

平成2年の春、大学進学を機に私は福岡に来た。

 

母と二人、新幹線で博多駅に着き、

駅の構内を出て、七隈方面へ向かうバスを待っているとき、

駅前のビルを見上げ、福岡という街の大きさを初めて体感した。

と同時に、見ず知らずのこの土地で、

自分一人でやっていけるんだろうかという不安に襲われた。

 

あちこちから聞こえてくるキツい博多弁。

車のクラクションが大きくて怖い。

 

博多の街の第一印象はあまり良くなかった。

 

 

下宿での一人暮らし。

大丈夫!と母を追い返すように言ったものの、

実際、日常生活でもわからないことだらけ。

正直、とまどうことも多かったが、

友人も知り合いもゼロというまっさらな状態だからこそ、

そして今みたいにSNSなんかも全くない時代だからこそ、

何のしがらみもなく、自分を出すことができたし、

そうするしかこの地に馴染む方法が見つけられなかった。

 

 

心の支えとなったのは先輩と仲間、

そしてもうひとつ、

亡き父が命を燃やして生きた九州の地に

自分もやって来たんだという誇りのような気持ちだった。

 

 

大学時代、1年生のときは真面目に勉強した。

2年生になり、学科やサークル仲間と遊びを覚え、

3年生になった頃には、すっかり福岡が好きになっていた。

 

そして4年生になり、これからどうしようか...

とこれからのことをぼんやりと考えるようになった。

 

教職課程を取っていたこともあり、

ま、一度は福岡で教採にチャレンジしようかと思い、

なんとなく流されるまま福岡に残ることにした。

 

 

大学1年生の秋からバイトで家庭教師をしていた。

3年生から塾のバイト講師をするようになり、

この塾業界に足を踏み入れることになった。

 

いつの頃からか、

教員採用試験がダメなら、

塾に就職しようと思うようになっていた。

というより、

塾の仕事の面白さとやりがいが、

他のどんな仕事よりも完全に上回っているように思えた。

 

 

23歳のとき、バイトから正社員となった。

そこから6年間、毎日それこそ死に物狂いで働いた。

いや、正確に言えば、

あれだけハードに働いていたのに、

けっして労働という感覚ではなかった。

 

とにかく夢中だったし、楽しかった。

 

塾生のためになることなら何でもしたし、

会社に貢献できそうなことは自ら志願して先頭に立った。

 

ただ一方で、理想と現実の狭間の中で、

それまでの人生にはなかった葛藤や挫折も味わった。

自らが招いた失敗と折り合いをつけながら、

それでも前を向いて生きていかなきゃと奮い立たせる日々も続いた。

 

自分の正義か、それとも相手の正義か。

会社のために働くのか、顧客のために働くのか、それとも自分のためか。

 

どうしてもやりきれない感情、理不尽さやなんかが痛くて辛くて...

 

青臭かったといえばそれまでだが、

それでも当時の私は私なりに精一杯悩んだ末に退職を決意した。

 

 

29歳、もうすぐ30歳の誕生日を迎えようかという初夏。

 

平成13年6月1日、

ちくしの進学教室は朝倉街道に誕生した。

 

その後、創業から3年後、平成16年に本館教室拡張。

平成19年、本校・第2教場(高等部)併設。

平成27年、山家道校開塾。

平成29年、本校・第3教場(個別・自習室)併設。

 

講師スタッフの人数も11名にまで増えた。

 

そして今、

創業から約18年の年月が過ぎようとしている。

 

あの日から6500日以上の月日が経った。

平成の世の約60%にあたるわけか。

 

そう考えると、

なかなか頑張ってるよね、ちくしん!

と、我ながらそう思うし、

それもこれも塾生とご家族に支えられてきたからだよね!

という感謝の気持ちも同時にこみ上げてくる。

 

 

あと2日で平成が終わり、令和になる。

 

新時代の幕開けとともに、

平成の18年間で積み上げてきたものを再点検し、

さらにブラッシュアップさせていきたい。

 

 

「いい塾を作りたい」

 

その一心で始まった当塾の歴史。

その初心は元号が令和になっても変わらない。

 

この地域に真に必要とされ、愛される塾であるために...

第2の故郷、私を育ててくれた福岡のために... 

 

 

令和3年が創業20周年になるのか。

 

50の大台だな、俺。

うん、でもまだ頑張れそう!

 

そうありたい。

 

 

 

あ、なんだ!

今日は「昭和の日」なんだ(^^;

 

 

 

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